チェスの起源は今も謎です。
これまで4人制のチャトランガというサイコロを使うゲームがチェスの起源と言われてきました。日本国内で出回っている情報は引用やコピーが多く、未だに4人制チェス起源説が取り上げられますが、最新の研究では2人制チェス起源説が主流です。
20世紀末、考古学上の新発見が多くなされ、これまでの資料が再検討されました。その後、出た結論は「四人制起源説は、新たな資料の下では充分な説得力を失っている」でした。このように、4人制チェス起源説を支持していた最前線の研究者たちが、2人制チェスが起源説の方に舵を切ったことは重く受け止めるべきでしょう。(増川宏一著、『チェス』2003年、法政大学出版局)
推測でない、記録が残っているチェスの歴史は1500年前からになります。6世紀のインド北部(カナウジ)で2人制のチェスが盛んだったことは証拠が残っており、原始チェスが古代インドで行われていたのは確実です。
その後、10世紀頃にインドからササン朝ペルシアに2人制原始チェスが伝えられたことは多くの文献に残っています。アラビアで原始チェスは盛んにおこなわれ、発展しました。
チェスはその後、アラビアから中国、日本などへ伝わり、それぞれのローカル・チェスに姿を変えました。将棋とチェスは祖先が同じゲームだと言われています。一方、アラビアからヨーロッパに伝わったチェスは15世紀頃に現ルールが確立し、発展しました。その時期ヨーロッパで書かれた書物で現代にも通用するレベルのものがあります。その後、チェスが貴族、知識人の教養としてヨーロッパで広く普及し、文学、芸術の題材になったことはよく知られている通りです。
このように、チェスは東洋で生まれ、西洋で育まれた文化でした。
19世紀には初の世界選手権が行われ、シュタイニッツが初代チャンピオンになっています。国際チェス連盟が発足したのは1924年、チェスが本格的に世界文化へと成長し始めます。
特に当時の社会主義国でチェスが推奨され、ロシア(旧ソ連)ではルールを知らない国民がいないくらいチェスが普及しました。世界選手権はロシア(旧ソ連)の独占状態の中、それを打ち破ったのが米国の一匹狼ボビーフィッシャーです。彼は1972年ロシアから世界王者の座を奪取しました。これは当時世界を2分していた軍事大国、米ソの頭脳決戦と言われ、世界中で話題になりました。フィッシャーの勝利は西側諸国にチェスが流行するきっかけとなったものです。
フィッシャーはその後チャンピオン在位のまま失踪。ところが突然入国管理法違反により2004年に日本の成田で発見されて投獄されました。彼は様々な理由で米国から犯罪者として扱われていて、米国に強制送還されそうになりました。しかし、日本チェス協会、将棋の羽生さんらの尽力により、フィッシャーは釈放され、世界選手権を戦ったアイスランドへ亡命したのです。2008年、フィッシャーはその地でミステリアスな生涯を終えました。
今や、チェスは洋の東西を問わず盛んになり、中国、南米、イスラム圏、アフリカ諸国にも大きな広がりを見せ、195か国が世界チェス連盟に加盟するほどの興隆を見せています。インターネット時代、AI時代に入っても、その勢いはさらに増していると言ってよいでしょう。
(2021年 山田 明弘)